さて、皆さんの自宅に置かれている仏壇の中には、
ご位牌と共に、先祖伝来の佛さまもお祀りされていると思います。
昔はとてもきらびやかで、装飾にも凝ったものが多くありました。
現代では、きらびやかさを少し押さえ目にした、
唐木仏壇が主流のようです。
近江の国、今の滋賀県の一部地方では、
今でも家を新築する際には、
仏壇の位置を決め、そこから設計図を起こして、
家の方位やら、形を決めていくというのが、普通に行なわれている所があります。
現代では、家も小さくなり、
ましてやマンションなどに住んでいると、
そのスペースにも限りがあります。
従って、仏壇も小さくなっていくのも道理でしょう。
その代わり、見た目も優れたスタイル性抜群のデザインのものが、
現代仏壇として、登場してきました。
時代が変われば、ご先祖さまのお住まいも、
今風になっていくようです。
さて、仏壇の中には、必ず置いてあるものの中に、
ローソク(お灯り)、線香と共に、
チ―ンと音を発する鐘(リン)が置いてあります。
さて、鐘(リン)は一体何の目的で、
仏壇の中に収められているのでしょうか。
お寺で法事やお葬式などがあるとき、
お坊さんがお経の合間合間に、
ゴーンという音を出すケイスを鳴らしたり、
板状のもの:磬(ケイ)をチーンと叩いたりします。
お経の区切り区切りに音を入れるのであれば、
木の音でも構わないはずですが、
なぜか、金属音を発する音を用います。
はて、何のために?
実は、お経は、厳格に音階が定められているのです。
その代表格といえば、天台宗と真言宗の聲明(しょうみょう)でしょう。
聲明にも、ドレミファソラシドに相当する音階があります。
宮(キュウ)・商(ショウ)・角(カク)・微(チ)・羽(ウ)が、
これに当ります。
そのほかに、洋楽の平均調律に相当する、
壹越(イチコツ)D・断金(タンギン)#b・平調(ヒョウジョウ)E・
勝絶(ショウゼツ)F・下無(シモム)#b・双調(ソウジョウ)G・
キュウ鐘(キュウショウ)#b・黄鐘(オウショウ)A・バン鐘(バンショウ)#b・
盤渉(バンショウ)B・神仙(シンセン)C・上無(カミム)#b
これらの組み合わせによって、聲明は成り立っています。
つまり聲明は、厳格な音によって、管理されているのです。
そして、日本の伝統的な浄瑠璃や文楽、能など、
様々な伝統芸能に色濃く影響を与えています。
天台では、大原の三千院の中にある勝林院がこの音、聲明の聖地とされています。
三千院を中心とする一帯を、「魚山(ギョザン)」と呼びます。
魏の陳思王曹植の時代、ある日、陳思王が魚山に出掛けた折に、
空中より響くえもいわれぬ梵天の声に聞き入り、
たちまち妙意を得、詩句(唄)を作ったとの故事にちなんで、
聲明の聖地のことを「魚山」と呼びます。
実際には、慈覚大師(円仁)によってもたらされた五曲が、
聖応大師(良忍)によって、大原の地で、体系的に整理され、
魚山聲明と呼ばれるようになりました。
(五曲:長音供養文、独行懺法、凡綱戒品、引声念佛、長音九条錫杖)
そこで、この聲明の法要を厳密にとり行うには、
調律された音が必要だったのです。
そこで、チーンというあの鐘(リン)の音が必要になるのです。
聲明をとり行うには、
先週お話をしました、壹超(イチコツ)から始まり、
上無(カミム)に至る12律が必要になります。
つまり鐘(リン)は、
今で言う音叉(オンサ)の役割を果たします。
従って、調律された鐘(リン)は、厳密にいうと12個必要になるということです。
天台の法要では、特にその法要の導師のことを、
調聲(チョウセイ)と呼び、最も重要な地位を与えられています。
法要の成否は、
調聲の振るうタクト、
発音(ホットン:調聲が発する最初の調律された音)によって、
様々なお経や聲明、鳴り物(木魚・ドラ・妙鉢(シンバルのようなもの)類によって、
えもいわれぬ混然一体となった世界を作り出していきます。
近頃では、聲明の音楽性は、お寺を飛び出して、宮内庁の雅楽と協演したり、
国立劇場での公演やヨーロッパに渡っての公演、
またグレゴリオ聖歌とのコラボレーションといった形でも、
一般の方の前に披露されるようになりました。
これもひとえに、音と音階というものを忠実に守り続けてきた先人のお蔭です。
聲明は、秘曲と呼ばれるものを除いては、
CDでも聞けるようになりました。
時代と共に、佛教音楽もそれなりに発達を遂げてきたのですね。
一度機会がありましたら、是非お聞きになってください。
皆さんが、仏壇の前に座り、チーンと鐘(リン)を鳴らす。
その音は、ご先祖さまと皆さんをつなぐ音としての役割と共に、
いにしえより堅く守り続けられた厳格さというものが、存在したのです。
(蛇足)三千院の南の坂道を辿ると、来迎院に至ります。
さらに奥に進むと、2つの川が流れています。
来迎院の前を流れている川を「呂川」、
本堂勝林院に向かう川を「律川」といい、
この2つは、聲明のゆったりした流れ「呂曲」、
テンポ良く流れる「律曲」とを、2つの川の流れに見立てたものです。
この2つの曲を使い分けられないお坊さんのことを、
呂律の区別がつかない、つまり音痴と小バカにした言葉が、
いつの間にか、お酒を飲んで何をしゃべっているのか、
聞きづらい人という意味で、今では、「ろりつ」→「ろれつ」が回らないと
変化してきたようです。
意味を知って、チーンという鐘(リン)の音に耳を傾けてみると、
平安の頃より続く音色に、
奥深い先人の叡智を垣間見る思いがいたします。

人が生を受け、人生を全うする。
このことを誰も疑問に思うことはありません。
人が人として本来の自分を見い出し、今をすばらしいと感じたときにこそ、私たちの本性である神性が目覚め、人として生きてきた自分を知ることになるでしょう。
人は成長を求め、両親や性別、このときを選んで自らの意思において生まれています。
しかし悲しいことにその記憶を宿すことはありません。
なぜなら、生きる目的を最初から分かっていることは、時として魂の成長を妨げてしまうことになるからです。
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