4月18日、よく晴れた清々しい日、
八重桜は今が満開、ソメヨシノとはまた違った艶やかさで、
私たちの目を楽しませてくれている。
今日は泊りがけで、
私の友人の奥さまのお父上の三回忌の法事に、
伊豆高原へと、出掛けている。
私の友人は、平等寺という、少し変わった名字の持ち主である。
実家は代々お寺さんの家系であるそうだ。
彼の父親が、本来お寺を継ぐはずのところ、
次男さんにお寺を譲り、自分は別の仕事に就いたため、
名字は、平等寺という有難いものを持ってはいるが、
まったく佛事には、縁遠く、お経を読むことすらしたことがない。
しかも、今回お弔いをする奥さまのお父上も無宗教、
戒名もつけていないので、普通のお寺さんには相談しにくいという事情もあり、
私に白羽の矢が立ち、一周忌、三回忌と、お弔いを引き受けることになった。
このお亡くなりになったお父上、もとは九州のお生まれで、
山口県の海運関連のお仕事に就かれており、
何よりも海に生き、海を愛した海の男であったそうだ。
そして、ご遺言は、
「私が亡くなった後は、その骨を海にまいてほしい」とのことで、
そのご意志に従い、今でも珍しい海上での散骨が行なわれた。
散骨といっても、海辺で行なうわけにも行かないので、
かなり遠くまで舟を頼み、色々と苦労して行なわれたそうである。
今回は、そこまでのことは出来ないので、
小田原のとある海岸より、海に向けて弔いのお経を上げ、
花をたむけるといった一風変わった法事を執り行った。
よく晴れた海風の、心地よい穏やかな海を眺めながら、
しばし故人の徳を偲び、
その足で、伊豆高原へと向かった。
友人の意向で、そこで1泊し、
宿の部屋にて、友人ご夫妻とそのお母上、私と妻の娃の5人で、
もう一度お経を上げ、無事に三回忌の法要を済ませることができた。
さて、ここから不思議な話が始まることとなる。
その前に、皆さんは、ネーミングライツという言葉を、
耳にしたことがおありだろうか。
例えば、ソフトバンクホークスの本拠地である福岡ドームに、
ヤフーが名前をつけて、今は、「ヤフードーム」と呼ばれている。
このように、企業が名前をつける権利のことを、
ネーミングライツと呼ぶ。
私の妻の娃は、『日響娃:ひびき あい』という名前で、
スピリチュアルメッセージというものに携わっている。
テレビ朝日の番組で、「オーラの泉」というのをやっているが、
三輪明宏さんの相方の江原啓之さんの行なっているようなことだと思っていただければ、
理解しやすいと思う。
妻は、hpも出しており、
そのタイトルを『れいめい拳』という少し変わった名前で、活動を行なっている。
(詳しくは、れいめい拳のhpを参照してください)
http://www.reimeiken.com
このほど、九州にある、平成筑豊鉄道という会社が、
この春より社内のシステムを若干変更し、
それに伴って、「行橋:ゆくはし」より「直方:のおがた」に延びている路線の各駅に、
ネーミングライツを募集していることを、報道番組で知り、早速応募してみたところ、
運よく「崎山」という無人駅に名前をつける権利を得ることが出来た。
本来は、その土地に根ざした企業や商店、学校などが対象となることになっているのだが、
とにかく、一番最初に申し込んだのが、妻であったらしく、
先方も気をよくされ、親切にもこの「崎山」という駅を薦めていただいた。
平成筑豊鉄道も、この不況のご時勢、
少しでも会社が良くなればと、あれやこれやと知恵を絞って、孤軍奮闘している。
そんな報道を見てのことであり、
私たち2人も、何か応援できたらいいねと、申し込んだ次第である。
そのようなわけで、
4月1日付で、この駅の名前には、
『れいめい拳.com崎山』という駅名が誕生した。
早速、友人らにこのことを話したり、メールをしたところ、
エイプリルフールということもあり、
「またまた〜ウソばっかり」という反応が大半であった。
(この話は、4月1日の『心星キラリ』のブログに出ておりますので、
宜しければ、ご覧ください。 傑作なコメントも入っております。)
http://www.reimeiken.com/blog
「ま、しょうがないよね」
それに併せて、私の名刺の裏に、
『げんじいの森 ← れいめい拳.com崎山 → 犀川:さいがわ』というのを入れてみた。
ほんの遊び心のつもりである。
第15回 〜佛縁「ある法事の出来事2」〜
話を元に戻そう。
法事も無事終わり、
故人の海が好きだった話や人となりを偲び、ひと段落したところで、
「このほど名刺を新しくしたので、お渡しします。」ということで、
友人ご夫妻とそのお母上に、名刺を渡し、少し驚かせてやろうという思いもあり、
「表は前のと同じです。是非裏を見てください」と勧めたところ、
裏側を見るなり、友人の奥さまとお母上が、
「崎山、懐かしいわね〜。ここの景色はキレイでね。」といきなり話を始める。
「この路線は、行橋から直方に出ているのよ。
この崎山には、お母さんのいとこが嫁いでね。」
何のことかわからず、「あれ、何で知っているの?」と尋ねると、
「だって、今日拝んでいただいた父は、崎山の隣の犀川(さいがわ)の生まれよ。
私は行橋で生まれて、母もその近くの出身。
親戚は、今もそこで暮らしているし、知っているってもんじゃないわよ。
ところで、koeiさんこそ、何でこの駅にわざわざ名前をつけたの?
行ったこと、あるの?」と奥さま。
「いいえ、まったくありませんし、崎山という駅も先方の方に薦められただけで、
私たちは、どの駅でも良かったのです。
(ここで先のネーミングライツのお話をご披露した。)
ところで、平等寺さんは、お父さんがここの出身って、ご存知でしたか?」
「いいや、僕も始めて知りました。 でもそう言えば、何か言っていたような…」
全員で顔を見合わせて、
「うそ、こんな偶然あるの?狐につままれるとは、このこと。
本当にお父さんが導いてくれたのかね〜」
お母上は、しみじみと言う。
本当に驚くばかり、
別々であった、法事と駅名という、
絶対に結びつかないように見えたものが、
何かの力に引き寄せられるように、結びついていく。
えにしの不思議さ。
これを不思議と捉えてはいけないのかも、しれない。
佛は私たちに、これでもか、これでもかと、
人の縁の大切さを、身をもってわからせてくれる。
私たちはつい、
生きているということは、
自分自身が頑張っているから、
その努力によって今の仕事につき、
地位を得、社会的な信用を獲得していると思い込んでいる。
そして、それも事実であろう。
しかしながら、見えざる力に導かれ、
人は人を助け、そして助けられている。
そのことを佛さまは、色々な出来事やご縁を通して、
私たちに語りかけてくれている。
「あなたは、1人ではないよ、
いつも佛が見守っているのだからね。」と。
法事の後、話は私たちの知らない筑豊の町の様子や、
そこに住む人々の暮らしぶり、
気質や風土といったものにまでおよび、
私の知らない駅の周りの様子を、
そこにいるが如く、教えてくれた。
お父上を供養したつもりが、
逆に佛さまの導くえにしの深遠さを気付かされ、
互いが遠く離れているように見えても、
『えにし』という切っても切れないものによって、
人はしっかりとつながっている。
「もうそろそろ気付きなさいよ」と
教えていただいているような気がする。
故人のご家族にとっても、
そして、私たちにとっても、
本当に思い出に残るいい法事が出来た。
見えざる力に合掌し、
佛縁に、ただただ感謝する。
生かし、生かされ、気付かされ、
佛縁の深きに感嘆し、
今日も気付けば手を合わせ、
「南無」と佛の名を唱える。
意味は知らずとも。
※ここで登場していただいた友人と法事に関しては、
ニュアンスを少し変えて、お話させていただきました。

人が生を受け、人生を全うする。
このことを誰も疑問に思うことはありません。
人が人として本来の自分を見い出し、今をすばらしいと感じたときにこそ、私たちの本性である神性が目覚め、人として生きてきた自分を知ることになるでしょう。
人は成長を求め、両親や性別、このときを選んで自らの意思において生まれています。
しかし悲しいことにその記憶を宿すことはありません。
なぜなら、生きる目的を最初から分かっていることは、時として魂の成長を妨げてしまうことになるからです。
れいめい拳が解き明すのは、あなたのすべてではありません。
問題に立ち向かおうとあなたが決心したとき、そのほとんどは解決しています。
後ほんの少し残った課題をれいめい拳がお手伝いいたします。あなたは今という一瞬を表現し、学びとしている存在です。このことを忘れないでください。
れいめい拳のえにしにより、今を生きる皆さまの一助になれれば幸いです。
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